クリニック通信9月号「あんぱん」
厳しい暑さが続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今回は、現在放送中の朝の連続テレビ小説「あんぱん」についてお話ししたいと思います。
「あんぱん」は、アンパンマンの作者・やなせたかしさんと、その妻・小松暢さんをモデルとしたフィクションのドラマです。アンパンマンといえば、子どもたちの間で絶大な人気を誇るキャラクターですが、私が幼少のころにはまだ世に出ていなかったため、私たち世代にとっては「子どもが夢中になっている新しいキャラクター」として初めて触れる存在でした。
私がアンパンマンを初めて目にしたのは大学生の時だったと思います。実家近くを走っていた東武野田線の車内広告に「それいけ!アンパンマン」が掲示されており、当時まったく知らなかった私は「このような名もないキャラクターは、きっとそのうち忘れられていくのだろう」と思ったのを覚えています。ところが、その予想は見事に外れ、アンパンマンは瞬く間に国民的キャラクターとなり、知らない人はいない存在になりました。我が家の子どもたちも大好きでした。
ドラマ「あんぱん」を観ていると、やなせさんがどれほどユニークで波乱に満ちた人生を歩んできたかが伝わってきます。三越の包装紙「はなひらく」に印字され「mitsukoshi」のロゴデザインを手掛けたり、「手のひらを太陽に」の作詞をしたりと、漫画家という枠を超えた幅広い活動をされていました。これらの作品は、正直言ってアンパンマンの作者が手掛けたものとは知りませんでしたので、今回あらためて知った事実に驚き、ますます親しみを感じるようになりました。やなせさんは決して順風満帆とは言えない人生のなかで、失敗や挫折を経てもなお「人に優しく、人を励ます」ことをモットーに表現を続けた点が、特筆すべきところでしょう。
NHKドラマ「あんぱん」の魅力は、出演者たちの演技にもあります。妻・のぶを演じる今田美桜さんや、妹・蘭子を演じる河合優実さんの存在感は圧倒的で、画面に引き込まれます。さらに、江口のりこさんや阿部サダヲさんといった実力派の俳優陣が物語を支え、朝の15分という短い時間のなかで濃厚な人間ドラマを見せてくれています。
正直に申しますと、私はこれまで朝の連続テレビ小説にはあまり惹かれず、途中で視聴をやめてしまうことも少なくありませんでした。しかし、今回の「あんぱん」は久しぶりに「続けて見たい」と思わせてくれる作品です。やなせさんが抱いた人生観や苦悩が、現代に生きる私たちに問いを投げかけてくるように感じられるからでしょう
アンパンマンの物語の根底には「自己犠牲」というテーマがあります。自分の顔をちぎって困っている人に分け与えるという発想は、一見すると子ども向けにしては強烈ですが、実は深い哲学が込められています。やなせさんご自身が戦争体験を持ち、飢えや孤独を知っていたからこそ「飢えた人を助ける」という根源的な優しさが作品に宿ったのでしょう。
私が日々の診療を通じて患者さんと向き合う中でも、「人を支えるとはどういうことか」と考えさせられることがあります。薬や治療で直接的に助けられることもあれば、声をかけるだけで安心につながることもあります。アンパンマンが差し出すパンの一片のように、ささやかな行為でも人を救うことがあるのだと思います。
また、アンパンマンのキャラクターたちは多様です。正義の味方もいれば、ばいきんまんのように憎めない悪役もいます。やなせさんは「ばいきんまんは人間社会に必要なのです。無菌状態ではかえって危ない」とも語っています。人の性格や考え方の違いをそのまま受け入れ、互いに関わり合いながら世界を成り立たせている姿は、現実社会の縮図のようです。医療現場も同じで、患者さん一人ひとりの価値観や背景を理解し、その人に合った支援を考えることが求められます。
私たちが普段使っている「日常」という言葉のなかには、実は多くの努力や支え合いが含まれています。やなせさんの歩んだ人生と、そこから生まれたアンパンマンの世界観は、「普通に暮らせること」そのものの尊さを教えてくれるのではないでしょうか。
最後に、少し話題を変えて本物の「あんぱん」について。皆さんはあんぱんがお好きでしょうか。私は江東区東砂にある「ナカヤパン」のあんぱんが大好きです。ほどよい甘さの餡と小麦の香りが広がるあんぱんは、日本に生まれて良かったと思わせてくれる逸品です。機会があればぜひ一度ご賞味ください。2025年9月1日 齋藤 幹