30年ぶりの「第九」
皆様も忙しい師走の日々を過ごされていることと思います。12月といえば「第九」ということで、この週末も日本各地でベートーヴェンの『交響曲第9番ニ短調作品125(合唱付き)』が演奏されているようです。
私の出身の北海道大学交響楽団(通称北大オケ) も今月18日(日)に「第九」を演奏する旨、先日のOB会通信で知りました。実は30年前の1992年11月24日(火)に私は北大オケのコンサートマスターとして「第九」を演奏したのです。北大オケの「第九」はその公演以来30年ぶりとのことです。当時は指揮者の川越守先生の還暦記念コンサートと銘打ったものでしたが、その川越先生も数年前に亡くなられました。今年は創団100周年記念コンサートとのことで、指揮は秋山 和慶さんになります。ちなみに、私が演奏した「第九」の演奏会は1992年その前が1960年、なんと北海道における「第九」初演とのことですから歴史を感じますね。
当時の個人的な苦労ばなし、沢山ありましたがここで2つほど・・
30年前の「第九」演奏会が行われた1992年11月24日は平日の火曜日でした。当日は学部の試験期間真最中であり、試験に受ければ演奏会のセッティングやリハーサルに間に合わない可能性がありました。コンサートマスターとしてそれは無責任と思えて、私は担当教授に無謀にも「本試験を欠席して再試験のみ受けたい」と申し出たのです。しかしながらこの申し出は当然のごとく却下され、「学生の本分を何と心得る」とかなり説教をされてしまいました。当日は不本意ながらも?本試験を受け、試験の退室可能になった時点で教室を大至急飛び出して、演奏会場にかけつけました。演奏会場のステージはすでに綺麗にセッティングが済み、いよいよリハーサルが始まるかという時でした。
苦労ばなし?もうひとつは当時の指揮者の川越守先生の演奏の“テンポ”です。川越先生のベートーヴェンのテンポはものすごく速いのです。確かにそのテンポはベートーヴェンが指定したテンポなのですが、ベートーヴェンのメトロノーム指定は速すぎるのではないかと専門家のあいだでも議論のあるところで、とくに弦楽器の我々には受け入れがたい(演奏不可能)ところもありました。例えば3楽章のゆったりしたメロディーはほぼ通常の2倍の速さですし、有名な4楽章のチェロとバスのレスタティーボは確かに「テンポ通りに」と指示されていますが、そのとおりに演奏すると耳になじんだ聴きなれたものと全く異なります。当時は古楽器による異様に早いテンポの演奏も今ほどはポピュラーではなかったのでなおさら違和感がありました。最終的には速めだが許容範囲内というテンポでの演奏となりました。
私がここであげた川越守先生は当時の指揮者なのですが、単なる指揮者ではありません。先生は1950年代から北大オケの指揮者としてほぼすべての合奏練習、定期演奏会、それ以外のすべての演奏会を半世紀以上も振ってきました。そして、驚くべきことに1960年代からは毎回の定期演奏会で自作の曲を発表し初演をしてきたのです。いうなれば北大オケ100年の歴史の半分以上は川越先生そのものなのです。
私が川越先生を評するのは畏れ多いのですが、誤解を恐れずに言うと、「在野の音楽家」ということができます。指揮は我々の北大オケとOBと設立した「北海道交響楽団」に限られ、作曲や編曲は市や大学からの依頼を除けばもっぱら我々のオーケストラのためだけにされました。いわゆるプロの演奏家には厳しくプロの演奏に対して「あれはひどい演奏だった!」と評されることもしばしばあり、我々の演奏こそが“最高”であると常々言っておりました。
今回の指揮をする秋山 和慶さんはベテランの大指揮者ですし、ちょうど私が大学在学中、札幌交響楽団の指揮者でいらっしゃいました。YouTubeでのインタビューなどで私たちが練習会場にしていたサークル会館の指揮台で練習している風景を見て、(ここに川越先生以外が立つことはあり得なかったので)時代は変わったと感慨深く思いました。
コロナ禍の大変な時に「第九」のような合唱付きの大掛かりな作品を演奏することはほんとうに大変だとおもいますが、北大オケOBのひとりとして演奏会の成功を東京から祈っています。