クリニック通信10月号
10月に入り、ようやく秋の訪れを感じますね。いかがお過ごしでしょうか?
先日、私が所属するアマチュアオーケストラ、FAF管弦楽団の演奏会があり、娘と一緒に参加いたしました。当日足をお運びくださった皆さま、本当にありがとうございました。私がヴァイオリンを習い始めたのは5歳のときでしたので、ヴァイオリンとは半世紀におよぶつきあいです。このように生涯を通して楽しめる音楽という趣味を持てたのは両親のおかげでとても感謝しています。
私が所有しているヴァイオリンは小学校5年生の時に両親に買ってもらったものですので、かれこれ45年ほど弾き続けていることになります。この楽器は19世紀のフランス製で当時レッスンに通っていたY先生が欧州で購入してきたものでした。せっかく先生が選んでくださった楽器でしたが、実ははじめはあまり好きにはなれませんでした。高音の鳴りがよくなくて、見た目も楽器の表面の中心部が黒ずんでいて魅力的とは思えなかったからです。中学生の頃、とくにヴァイオリンという楽器自体に興味を持っていた時期があり、図録で楽器の写真を見比べたり、都内のヴァイオリンの銘器の展覧会に足を運んだこともあります。そこで見る楽器は古い楽器でもニスも艶やかで、表面の木材であるスプルース(松)の木目は、自分の楽器よりずっと細くて等間隔、手にとるととても軽く、鳴らしてみると高音は軽々と輝くようになめらかに響き渡り、感激したのを覚えています。
我が家では息子と娘にヴァイオリンを習わせていましたが、息子が中学生になったときにフルサイズのヴァイオリンを購入しました。そのヴァイオリンはイタリアのクレモナ在住の日本人の高橋修一さんという方が製作した新作でした。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、ヴァイオリンで最高峰の楽器というのは今から300年ほど前にクレモナでストラディバリによって作られた楽器で、古いものほど良いと言われることがあります。
そんなわけで私も最初は古い楽器を探していたのですが、古くて良い楽器は驚くほど高価で、我々の手の届くようなものではありません。そのようななかで高橋修一さんの楽器に偶然出会い、その美しい見た目と素晴らしい音色に魅了され、価格もそれほど高くはなかったためすぐに購入を決めました。
その後、娘が中学生になったときも迷わず高橋修一さんの新作の楽器を求めて購入することにしました。
実は私も今年に入って高橋修一さんの楽器を購入しました。私の場合は新作ではなくて別の方が使った中古品だったので、新作のものよりずっと安く購入できました。中古と言ってもまだ数年しか経っていない、新品と言ってもいいくらいの傷もない綺麗な楽器です。こう書くと中古の方が高かったのではなかったかと思う方がいるかもしれませんが、古い楽器で高価になるものはごく一部の楽器です。その代表であるストラディバリによって製作されたヴァイオリン(ストラディバリウス)は最近では16億円以下で取引された例はないとのことでした。私が子どものころヴァイオリニストの辻久子さんが自宅を売却してストラディバリウスを購入したときの価格は3千万円と言われましたが、それに比べると随分と高くなったものです。
ヴァイオリンの価値というのはどのように判断するのでしょうか?演奏する人からみるヴァイオリンの価値というのは、音色や弾きやすさ、そして見た目の美しさにあると思います。製作者から見る楽器の価値は使っている材料や楽器の精度や美しさなどによります。楽器を売る人から見る価値は、高値で売ることができるかだと思います。例えいい音の美しい楽器であったとしてもその楽器製作者が不明であったり、全くの無名であったり、アジア製であったりすると高値での取引は難しいのが実情です。
高価なストラディバリウスの音の秘密が、今では手に入らなくなった木材にあるとか、秘密のニスにあるなどと言われたりしますが、神秘的な存在にすることで価値を高めようとしている気がしてなりません。
著名なヴァイオリニストの多くがストラディバリウスを弾いていることを強調していることが多いのですが、現代アメリカで最高のヴァイオリニストの一人であるヒラリーハーンは、19世紀のフランスの製作家であるヴィヨームの製作したヴァイオリンですし、ヴィオリストのタベア・ツィンマーマンはパトリック・ロバンという現代のフランス人の製作家の楽器を使用しています。このことは古い高価なイタリアの楽器でなくても極上の音色を奏で聴く人の心を揺さぶる演奏ができる証明になると思います。今では世界各国の多くの優秀な製作者が丁寧に仕上げた素晴らしいヴァイオリンが存在しますので、もっと多くのヴァイオリニストが現代のヴァイオリン製作家の楽器を積極的に取り入れ、演奏してほしいと思っています。
さて先日の演奏会では娘と一緒に高橋修一さん製作のヴァイオリンで参加しましたが、この兄弟のような楽器を一緒にステージで演奏することができ、楽器たちも喜んでいるのではないかと想像して何だかとても幸せな気持ちになりました。