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エジプト旅行記 その2

[2024.09.17]

成田―カイロの直行便(14時間あまり)でカイロに午前6時ごろに到着してすぐに観光バスに乗り、ギザの3大ピラミッドへ向かいます。今回のツアーはHISのツターだったのですが、このバスでは現地のエジプト人のガイドさん(ハゼムさん)、運転手、現地のHISのスタッフ、観光ポリス、日本人の添乗員が乗り込みました。

エジプトでは1997年にハトシェプスト女王葬祭殿で外国人観光客を狙ったテロがあり日本人10名を含む62名のツアー客が亡くなりました。それ以来、ツアー客には観光ポリスという警察官が同行し観光を行うことが必須となっています。また、観光地では必ずセキュリティーチェックがあり持ち物検査をされました。安全に旅行をするという点でこのような対応は我々旅行者にとってとても安心の対応だと思います。また、バスの運転手は長距離だと交代で運転しなければいけないとのことで、交代の運転手もいてそういう意味では手厚い対応だと思いました。以前フランスへ行ったときは運転手がものすごく眠そうに(そしていろいろと文句を言いながら)運転していて、乗っているこちらはいろいろとビクビクしていたところがあるのでとてもいい印象がありました。また、ガイドさんはエジプト人のガイドを雇うことが決まっているとのことで、我々はカイロ大学卒業の日本語がペラペラのハジムさんが、初日から最終日まで案内してくれました。このハジムさんのガイドが素晴らしくて、最初から最後まで本当に詳しく説明してくれました。

まずはバスの窓からピラミッドが見えてきて感動し、そしてクフ王の墓の前に到着。クフ王のピラミッドの説明を受けた後早速中へ入りました。エジプトについたばかりなのにいきなりメーンイベントみたいでドキドキしてしまいました。クフ王の中は意外に狭く這って登っていくところもかなり続きました。入場者の制限はあるようですが、私が行ったときは結構混雑していて蒸し暑かったです。なんとか有名な玄室へ到着。玄室といってもミイラがあるわけでも装飾があるわけでもなくガランとした部屋です。

1800年代にこの玄室の上に重量軽減の間という空間があって、この内部からクフ王の名前が発見されこのピラミッドがクフ王のものであることが特定されました。詳しくはこちらをごらんください。

われわれはその後近くにある王妃のピラミッドの中にも入りました。こちらはクフ王にもまして急な狭い斜面で体の不自由な方には厳しいところでした。そのあとはカフラーの葬祭神殿を抜けて、スフィンクスへ。スフィンクスはカフラーによって建造されたといわれており、ギザの台地の端の斜面の下に位置しています。この部分の石切り場を削って作られており窪地にあるために砂漠の砂で埋まっている時代が長く、時代によっては忘れ去られていたこともあったようです。ナポレオンが壊したとされるスフィンクスの鼻ですが、実際には14世紀には破壊されナポレオン遠征の「エジプト誌」に描かれたスフィンクスは胴体が埋まって鼻が壊された状態でした。

スフィンクスの見学し昼食をいただいた後はエジプト考古学博物館へ。こちらは1902年にフランスのオギュスト・マリエットの主導によって建設された博物館で、この建設によってエジプトで発見された遺物が国外へ流出することが防ぐことができるようになったようです。ただし建物の老朽化で現在大エジプト博物館が建設中で、一部のものはすでにそちらへ移動されているようです。ただこの大エジプト博物館ですが、2012年に着工して2020年に全面オープンするはずがいまだにオープンしていません。建設費用の約半分を日本が出しているということで早くオープンすることを望みたいところです。

さて、そんなエジプト考古学博物館ですが、もちろんいまでも見どころはいっぱいです。とくにツタンカーメンの黄金のマスク、黄金の棺、黄金の玉座なども展示されており短時間では見てまわれません。ただし、この施設古いためエアコンは完備されておらずとても暑いです。また私が利用したトイレは信じられないほど汚かったです。
さて豆知識として、ファラオの冠ですが、上エジプトを表す白冠(壺のような形)と下エジプトを表す赤冠(椅子のような形)をしています。白冠だけだと上エジプトのみの統治、両方あると上下のエジプトの統治をしているそうです。さらにファラオについているひげですが、まっすぐで終わっているのは生きている姿で、先が曲がっているのは死後の世界だそうです。したがってこちらにみられるラムセス二世の像は、上下エジプトを支配して、生きているときの像ということがわかります。足を前に出しているのは力強さを示しているそうです。

こちらは第三王朝のジョセル王の座像です。彼はピラミッドの原型 階段ピラミッドを作ったことで知られています。今回はサッカラの階段ピラミッドには行きませんでしたが、今後ぜひ行きたいところの一つです。

こちらはクフ王の像です。わずか7.5㎝の象牙製です。あんなに大きなピラミッドを作ったのにこのような小さな像しか残っていないとのことです。

こちらはカフラーの像。片麻石という非常に硬い石でできていますが、見事な彫刻で驚かされます。いったいどのように彫られたのでしょうか?カフラーはスフィンクスを建造したといわれていますが、確かにスフィンクスと似ているような気がします。


こちらはメンカウラー(真ん中)の像です。

こちらはクフの兄弟のラーホテプとその妻ネフェルトの座像です。美しく装飾され目には水晶と黒曜石が使用されており、まるで生きている人のようです。この時代(キリスト誕生のはるか前ですよ!)にこのような芸術が存在したことは本当に驚きです。

こちらはハトシェプスト女王の頭部像です。ハトシャプスト女王は女性でファラオとなった珍しい人物で、もともとはトトメス2世の王妃だった人です。トトメス2世が亡くなった後幼いトトメス3世との共同統治を行いました。その後トトメス3世が一人で納めるようになった後に、彼女の存在は彼によって消されたとされています。この頭部像もファラオの象徴である顎髭は削られ、王冠も破損しています。

エジプト考古学博物館の目玉は何といってもツタンカーメンの黄金のマスク、黄金の棺でしょう。エジプト考古学博物館はほとんどの場所で写真撮影は可なのですが、このツタンカーメンの黄金のマスク、黄金の棺などが納められた部屋だけは写真撮影はできません。

幸い美しい黄金の玉座や番人、アヌビス像などは撮影可能でした。当日はそれほど混雑はしていなくてツタンカーメン王の黄金のマスクや黄金の棺、そして宝飾品の数々はじっくりと見ることができました。それにしてもこれほどまでに精巧で美しい装飾品がこの時代に作られていたということが驚きとともに感激しました。ツタンカーメンコーナーにはプスセンネス1世のシルバーの棺桶もありました。こちらもとても美しくて驚きました。

本日はこのへんで終わりにします。次回はアブシンベル神殿へ移動です。

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