クリニック通信9月号
9月になりました。まだ暑い日が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?私は先月に夏休みをいただき、生まれて初めてエジプト旅行をしてきました。我々の世代(50代)は子供のころツタンカーメンの黄金のマスクやピラミッドの謎に関するテレビ特集も多く、きっと皆さんのなかにも古代エジプトに興味を持たれた方もいらっしゃると思います。かくいう私も小学生のころの夢は考古学者でしたし、出発前からワクワクしていました。8月のエジプトはさすがに暑かったのですが、4500年以上前の数々の遺跡を訪れ、連日大興奮してしまい、帰国してからもエジプト熱が冷めやらず何冊ものエジプト関連の本を読み、夢にまでエジプトが出てきそうです。
実は19世紀初頭にはナポレオンのエジプト征服により、パリでも一大エジプトブームがおき、何年にもわたってファッションや建築の分野でエジプト風が流行したそうです。その大流行はアメリカにも広がったとか。いつの時代も古代エジプトは人の心をとらえてはなさない魅力があるようです。古代エジプトのファラオは時代を超えてエジプトに恵みをもたらし続けているといえるかもしれません。
我々を惹きつけるエジプトの魅力は紀元前3000年という大古の建築物やレリーフが現存し、ツタンカーメンをはじめとした多くの財宝が残されていたこと、特徴のある神々が存在すること、そして古代エジプト文字の解読によりその歴史がはっきりと分かってきたことなど様々な要因があるように思います。今回はその中でも私がとくにいま興味をもっているヒエログリフについてお話させてください。
ヒエログリフ(Hieroglyph)とはエジプトの神殿に描かれている代表的な古代エジプト文字で鳥やウサギなどの動物や口や目などを表した「象形文字」として知られていますが、hieros→「聖なる」 glypho→「彫る」を意味して「聖刻文字」などと訳され、実際には「象形文字」ではありません。ヒエログリフは紀元前3,200年頃から長いこと使用されていましたがエジプトが古代ローマ帝国統治下になると徐々にギリシャ文字が浸透し、4世紀を境に使用されなくなりました。ヒエログリフの使用が最後に確認されたのは、私も旅行で訪れたフィラエ島にあるイシス神殿内の壁面にかかれたもので、紀元後394年8月24日の日付があります。
世界史の教科書にも出ているように19世紀にフランスのシャンポリオンがヒエログリフの解読に成功したことは有名ですが、実はそれまでに多くの紆余曲折があったことはあまり知られていません。1世紀ころに書かれた書物にはヒエログリフが「表意文字」で深い哲学的・宗教的な意味を持っていると書かれていますし、5世紀に東ローマ帝国時代に活躍したホラポロンも、彼の著作「ヒエログリュフィカ」において、ヒエログリフを神秘的・象徴的な文字として見なしており、この考え方がヨーロッパに全土に広がることになりました。17世紀になるとドイツの天才言語学者のキルヒャーが、当時かろうじて解読可能であった古代エジプト語であるコプト語とヒエログリフにつながりがあることを見出しその後の解読への足がかりとなるのです。しかし彼自身もヒエログリフは表意文字・魔術文字であると認識していたようでヒエログリフの正確な解読へとはつながりませんでした。
ヒエログリフの解読に大きく前進するのはなんといってもロゼッタ・ストーンの発見です。18世紀の終わりフランス軍のプシャール大尉がエジプトの港湾都市ラシード(西洋名ロゼッタ)で碑文の入った岩盤(後のロゼッタストーン)を見つけます。この碑文が重要なものと考えた彼はカイロのエジプト研究所に報告し、すぐに研究所はこの碑文が上・中・下段にそれぞれヒエログリフ、デモティック(古代民衆文字)、ギリシア文字が刻まれており、ギリシア語部分がまず解読され、他の二つも同一の内容を持つという想定のもと、これがヒエログリフの解読の鍵になると発表しました。すぐに複製が作られ、パリに運ばれヨーロッパ中の言語学者や東洋学者が解読を試みました。
もっとも最初に解読に近づいたのはイギリス人のトマス・ヤングといわれています。彼は医師であり物理学者であり、弾性体力学のヤング率に名前を残し、光の波動説をとなえ、エネルギーという用語と概念を導入した大天才です。
彼はロゼッタ・ストーンの解読において、カルトゥーシュの中にファラオの名前が書かれていることに着目し、カルトゥーシュの中のヒエログリフが「表音文字」として表されていることを解明しました。この解明には名前や固有名詞は母国語でも外国語でも同じ発音をすることをヒントに行いました。例えば、Americaは漢字で「亜米利加」と書くことがあり、漢字が分からなくても「亜」=「ア」、「米」=「メ」、「利」=「リ」、「加」=「カ」と発音することがわかります。ヤングはエジプトにとっては外来語であるギリシャ語の「プトレマイオス」に一致するヒエログリフを探し出し、ヒエログリフが表音文字であることをつきとめたのです。
ヤングは残念ながら、この「表音文字」がカルトゥーシュの中でのみ成り立つと考えたためそれ以上の進展はありませんでした。その後、それを解明したのがフランスの天才言語学者のシャンポリオンでした。彼は多くの言語を操る天才で、とくに古代エジプトのコプト語の知識が豊富であることが有利に働いたようです。ヒエログリフとコプト語は多くの共通点があり、一部の文字は意味も一致したからです。彼はヒエログリフの種類が約900文字程度と、表音文字にしては多く(同じ表音文字のアルファベットは26文字、ひらがなは50文字)、表意文字にしては少ない(漢字では5千以上10万程度)ことから表音文字と表意文字が混在してるのではないかと推測しました。実際にはこの推測はあたり、ヒエログリフはその形態に反して表音文字が非常に多く、意味深にみえる鳥はアルファベットの「A」をライオンは「L」を表すなど、現在のアルファベットに対応することが可能となり多くの文字が解読が可能となりました。
シャンポリオンは「表音文字」以外にも、意味を表す「表語文字」、意味を限定する「限定詞」、また、ヒエログリフでは母音が記述されない、など多くの発見をしました。我々も旅行中に現地ガイドさんからヒエログリフのレクチャーを受け、自分の名前をヒエログリフで書けるようになり、嬉しくて自分の名前の入ったポロシャツも作りました。
今ヒエログリフを読んだり書いたりできるのは、数多くの先人たちの努力の成果と言えます。神殿や各地の遺跡に刻まれたヒエログリフが解読され、エジプトの歴史、古代エジプトの人々のイキイキとした生活様式などが次々と鮮やかに蘇ってきており、歴史好きな自分は楽しくてたまりません。
ヒエログリフは19世紀にシャンポリオンによって解読されましたが、これはシャンポリオン単独の成果ではありません。実は19世紀初頭、ナポレオンがエジプト征服したとき、学者や画家など160名以上からなる「エジプト科学芸術委員会」の一団がエジプトに渡り、何年にもわたって遺跡を調査し詳細な報告を行い全20巻からなる「エジプト誌」を発行しました。写真やコピーなどがなかった時代に画家や学者がエジプトの遺跡の絵を描き、レリーフのヒエログリフを丁寧に書き写して持ち帰ったのです。それらを使ってシャンポリオンらがその解読に成功したのです。
実際にシャンポリオンはアブシンベル神殿の銘文から偉大な王「ラムセス」の名前の解読に成功するのですが、当時アブシンベル神殿はほとんど砂に埋まった状態でした。イタリア人の探検家ベルツォーニらが砂を苦労して運び出して砂から現れた神殿の壁面のヒエログラフをシャンポリオンの友人ユヨが写しとり、それをシャンポリオンが手に入れて解読していったのです。
ニュートンは「私がかなたを見渡せるのだとしたら、それは巨人の肩に立っているからです」という言葉を残しました。人類が先人の築いた知識と途方もない努力のうえに新たな知見を加えて発展されていることを示していますが、まさにヒエログリフの解読の歴史もそれを彷彿とさせるものだと思います。
長くなりましたが、皆さまにヒエログリフの面白さは伝わりましたでしょうか?自分はほかにもエジプトで行ってみたいところがあるので、またいつか是非訪れたいと思っています。